2023年10月7日
「二種類の昆虫食」
藤原辰史(歴史学者)
まだ議論の整理が足りない。昆虫食には二種類あるのだが、それが一緒になって議論されている。
一つ目の昆虫食とは、長時間かけて、地域の植生や気象の特徴と切り離せない状況で、世代を幾度も超えて伝承されてきた昆虫を食べる文化総体のことである。
秋に実ったイネの葉を食べにくるイナゴを捕まえて、それを佃煮にしたり、炒って食べたりする文化は、比較的日本では知られている。
なんでも食べることで有名なヴェトナムでは、水田稲作文化と密接不可分であるが、ゲンゴロウやタガメを食べる文化がある。「カークォン」と呼ばれるタガメは素揚げにするだけではなく、ナンプラー(魚醤)に漬け込んで、独特に風味の持つ醤油にするという。さらに、タガメの精油は強烈な風味を持ち、調味料として用いられる。
オーストラリア亜大陸にもともとから住んでいたが、白人たちの移住によって迫害を受け、生活の激変を迫られたアボリジニたちも、蛾の幼虫を調理したり、体内に花の蜜をたくわえたミツツボアリなどを生でかじったりするという。
二つ目の昆虫食とは、地域の植生や気象の特徴と切り離した状況で、昆虫を大量に育てそれを加工して商品として売る産業のことである。
コウロギに飼料を与え、大量に培養し、それを乾燥させ、粉にする。その粉を使ってクッキーを作る方法などはすでにテレビや新聞などでも報道されているとおりである。この方法は、これからの食糧不足や気象変動に対応するエコロジカルでエシカルな食事であると喧伝されている。たとえば、従来の大量生産、大量消費の肉食文化が続けば、環境に莫大な負担がかかるが、昆虫食はそこまで負荷がかからない、という。
昆虫食文化と昆虫食産業。もちろん、これら二つのあいだにはグラデーションが存在する。そもそも稲作自体が自然から切り離された産業であるという見方もあるだろう。また、農薬が撒かれて生きものたちが暮らしていけなくなった結果、ヴェトナムなどではタガメの養殖地での培養も始まっている。「自然と共生する食文化」に経済的な先進国のエコロジストがロマンティシズムを投影する時代は終わりつつあるかもしれない。
ただ、それを認めた上でもなお、私はこの二つのあいだに本質的な違いを認めざるをえない。長期にわたって地域と環境に根を張ってきたか否かである。食べものは、それが育つ場所の植生や気象、土壌の状態と深く結びついているものであるが、昆虫食産業は培養肉産業と同様に、それとは大きくそれていく道を進んでいる。さらに、産業化された昆虫食は、おそらく、グローバル経済に従って編成されるグローバルな貧困層の食として普及し(富裕層はいつまでも現在の食事を楽しむことができる)、ますますその層の賃金を低く保つ口実を生み出すだろう。自分たちの倫理まで、市場に用意してもらうような精神文化の衰微では、そもそも破壊されていく地球をどう修繕していくかという困難な問題には永遠に立ち向かえないだろう。