2024年10月14日

あしたを耕す者たち
第3回
AAWAA

 

有機的に生まれるもの

 

「私は物書きです」と言い切ってしまうことは、分かりやすい。けれども同時にその他になん通りもある表現手段の可能性を一旦見えにくくする。「誰もが表現者」とは作家のエリザベス・ギルバートの言葉。本来は生きる行為そのものが表現だと。

糸を績む、衣服をつくる、空間を構成する、文字を書く…無限にある表現方法を、縦横無尽に行き来しながら、AAWAAが「あしたの畑」で作品を創っている。2023年に発表した「丹」は、丹後の地に伝わる古代の意識を独自の視点で表現したもの。

コズミックワンダーにおける衣を通した表現活動。アーティストとしての空間づくり。自身の軌跡と交差しながら、新しく生まれ出る表現には、あらゆる境界線が柔らかく緩むものが多い。古代の手法や忘れ去られた手仕事の研究、それらをかたちにする制作工程についてじっくりと伺う機会となった「あしたを耕す者たち 第三回」。

現代アートギャラリーにて、AAWAAを始めとするアーティストのマネジメントに携わりながら、「あしたの畑」にも活動初期から関わる岡本夏佳さん同席のもと、間人スタジオにてインタビューは始まった。

 

 

出逢い

あしたの畑との出逢いはいつだったのですか?

AAWAA/前田(以下A):10年ほど前に、自然に惹かれて京都の南丹市美山町にご縁があり移り住みました。そこは重要伝統的建造物群保存地区で、茅葺屋根の古民家を改装しながら住むことになり、大工や左官職人と相談しながら家づくりにも関わるようになりました。

住み始めると土地や周りの山々の生態系にも興味が湧いて、昔の里山の風景を少しずつ取り戻していくことを村の人たちや有識者の方を招いて話し合っていました。そんな頃に、竜宮(AAWAAの自宅兼アトリエの屋号)に徳田佳世さん(NPO法人TOMORROW代表)と橋詰隼弥さんが、岡本さんと一緒に訪ねてきてくれました。

 

岡本夏佳(以下O):印象に残っているのが、お昼にとっても美味しい手作りのおにぎりとおつゆ、お漬物でおもてなししてくださって。前田さんが自身で手を加えながら住んでいらっしゃる自宅に置かれているもの、読まれている本、生活の中に散りばめられているもの、そしておもてなしまで、全てが前田さんを現わしていたんです。

生活とアートがひとつとなった海辺の集落という、ここ間人での構想が、前田さんの生活の中では体現されていて、あしたの畑のビジョンとすごく親和性があると感じました。

 

 

徳田さんは以前のインタビューで、素晴らしい美術品と、それを鑑賞する周りの環境を同じくらい整えることの大切さを話されていました。間人でも、提供する食事とそれを盛りつける器までが、ひとつの世界を表現するものである、と。それを竜宮で感じられたのですね。

A:そうかもしれないですね。

 

 

 

 

ものづくり

その出会いの瞬間から、間人でのアート作品についてはある程度イメージが湧いていたんですか?

A:いえ。あしたの畑から「こういうことをしてください」とか、直接的な指示を受けることはなく、ほとんど何も決まっていない中で始まりましたね。会話を重ねながらゆっくり決めていきました。「お互い何をしたいですか?」とか、「あ、これしたい」「これならできる」と、手探りで。

 

 

作品づくりへの閃きは普段どのように生まれるんですか?

A:その時々ですね。素材から始まる場合では、例えば今までだと、ハマゴウという浜辺に生息する植物との出合いがありましたね。琴引浜を散策していたら、セージみたいな香りのする植物を見つけて。その香りと佇まいに惹かれるところから始まりました。

葉や種を集めて。ハマゴウという名前や、平安時代には香り枕としても使われていた事なども、調べるうちに分かってきて。その歴史的背景にも興味が深まり、最終的にはそれらの要素を込めた作品*につながったことがありました。

 

AAWAA 「丹」2023 写真 : 仲川あい

あしたの畑では、間人の赤土をつかった作品「丹」を去年発表されました。丹は赤という意味なんですね。この作品はどのように生まれたのですか?

A:私が住んでいる南丹市にも、「丹」という字が入っています。そこからこの辺りまで広い範囲を丹波って呼んでいた時期があるそうなのです。それはなぜかというと、赤い土が出る地質や、辰砂が掘り出されていた、という史実があって。

私の近くの友人の家には井戸の水を引いていて、水道管が錆び付いて井戸水が赤くなるとか、そういう話をいつも聞いていまして。赤色になる地質や鉄に関しては、とても日常的で馴染みがあったし、興味もありました。

その頃、間人の調査の一環として丹後古代の里資料館に行った時に、弥生時代の墳墓から出土した木棺の中の辰砂の痕跡を見せてもらうことができたのです。いわゆる権力者であったろう人が埋葬された木棺の中で、頭部の下にあたる箇所に辰砂が塗られていたようなんです。赤は命の象徴なので、亡くなった人に生命力を授けるとか、復活への願い、といった意味合いも含まれていたかもしれません。その掘り出したままの辰砂を、見せて頂くことができて。古代からの印象そのままであろう辰砂の赤の表情がとても綺麗でした。

 

O:新鮮さ、生々しさ、みずみずしい色合いが印象的でしたね。

 

A:辰砂や赤土でなにかできないか…と発想が生まれた瞬間ですね。

 

O:間人にある神社は、丹生(にう)神社といって、「丹」が「生」まれると書きますが、そこでも辰砂が取れていたんですね。辰砂が生まれる土地っていう意味だったのです。

 

A:水とか辰砂とか、昔の人が残しておきたいと思ったものは、地名になったりして、現代の生活の中でも息づいているのですね。

 

AAWAA 「丹」2023 写真 : 仲川あい

A: その傍ら、丹後絹布のリサーチも進めていました。弥生時代から絹は使われていたらしいのですね。そこから、おそらく埋葬されているような権力者の人たちは、その絹を着ていただろうと考えて。昔ながらの絹の織物を作ってもらって、 それを赤土で染めてみようということになりました。絹布を幾重も重ね、木棺のようにした塊をあたかも埋葬のように埋めて、土染したものが2023年の作品「丹」につながっています。

こうして色々なリサーチが結びついた結果を発表しています。2023年にお見せしたのは第一段階で、それが今年に繋がっていきます。

 

AAWAA 「丹」2023 写真 : 森川昇

2024年の制作に繋がっているのですね。今は、どんな景色が見えていますか。

A:今取り組んでいるのは…、この辺りでは、最近まで藤布が残っていました。藤布は昔は日本のどこでもなされていた仕事なんです。藤の繊維を使うという意味では、縄文時代からあったようです。

また日本には昔から、オオツヅレという、藤の糸に和紙を巻いて、織り上げた織物があるのです。和紙を巻くことで白い布に見立てたとか、着心地や保温性を考慮した、とか諸説はありますが。そこからも発想を得て、現代のオオツヅレとも呼べるものを作ろうとしています。

オオツヅレと言っても藤糸に和紙を巻く昔の方法ではなく、新たな独自の方法で製作しています。紙漉きの様子を思い浮かべるとイメージしやすいかもしれません。まず藤の繊維で紙漉きの道具の桁をつくって、土染した絹布を溶かし、丹後の楮と辰砂を混ぜたものをその桁ですくい上げるようにすると、それらが付着したオオツヅレのような糸ができます。縄文時代からあった藤の繊維に、弥生時代の権力者がまとった絹の繊維を付着させた糸ができあがる訳です。

 

AAWAA 「丹」2023 写真 : 森川昇

埋めたり、塗ったり、紙漉きに混ぜてみたり…。土地の素材の色んな活かし方を試されていらっしゃるのですね。

A:そうですね。ここにあるもので何かを作る、という。誰もやったことのない作品づくりなので、全て手探りで進めている感じです。

藤の繊維をとり出すだけでも、幾つもの工程があって。さらに、そこに絹、楮、辰砂を溶かしたものを付着させて。制作をお願いしている藤織りの坂根博子さん、紙漉きの大江歩さんは気の遠くなるような作業をされています。誰にでもできることではないと思うんですよ。だから、心寄せてくださる人とのご縁も、貴重なことで。丹後という限定された場所で、そんな出会いがあって、研究も制作もできるのが面白いですね。

 

 

 

AAWAAが生まれる

AAWAAという名前の由来は?

A:以前から文章を書いたりする時があって、その時にAAWAAってペンネームにして、誰が書いたか分からないようにしていました。その名前が、なんとなく自分にしっくりくるようになってきて無名性っていう訳でもありませんが、それに近い感覚かもしれません

 

 

無名性というと、ものを生み出すのはつくり手本人だけじゃなくて、自然や環境や時にはご先祖様の存在だ、という工芸的な考え方にもつながるように感じられますが、そういう感覚ですか?

A:そこまで、工芸的な境地に至ってはないのですが。やはり作品は自分の監修を通して生まれてきているので。

 

O:作家名も含めてですが、それは新しい美術活動の在り方なのかもしれません。あしたの畑もそういうところがあって。 例えばこういうスタジオを作るのに、一人の作家や建築家の構想で成り立つのではなくて、いろんな人がパズルのピースのように組み合わさって立ち上がってくるっていうのがあしたの畑で。だからアーティストも、職人も、料理人の方もいて、全員の名前が同じように並ぶんです。そのスタイルに、最初戸惑う人もいるのだけど。でもそれは、全員がメンバーですっていう、あしたの畑の在り方の要となる部分かもしれませんね。

前田さんも、たくさんの人とコミュニケーションをとりながら作品をつくられますけど、自分の名前だけをバーンって出すっていう姿勢では決してないから。AAWAAとして発表したいと仰ったのは、2023年でしたよね。色々な時代を経て、10年、20年と熟成した今。AAWAAという作家名には、無名性の要素もあると同時に、携わる人すべてを包容するような集合体としての存在であることを現わしていて、それは本当に前田さんならではのユニークな在り方だなぁ、と今聞いていて納得しました。

 

A:私も聞いていて発見がありました。

 

 

*コズミックワンダーと工藝ぱんくす舎「かみ」展・2017年 資生堂ギャラリー

 

聞き手:吉澤朋(文化の翻訳家)